投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-09 (728 ヒット)

 去る10月28日、大正大学宗教学研究室で、「震災と宗教」研究会の第10回定期研究会が行われました。今回は、早稲田大学大学院博士課程でいわき明星大学の研究員でもある川副早央里さんによる「原発避難地域の地域復興に関する考察―〈住民生活を支える諸機能〉の被害と再編過程―」と題した研究報告がありました。

 川副さんは、原発事故後、長期化している避難生活の中で〈住民生活を支える諸機能〉がどのように地域の中で変化・再編されているかを、避難自治体およびいわき市を含む広域地域から検討しています。〈住民生活を支える諸機能〉を行政・商業・地域産業・居住の4つに分類し、震災前の地域開発史や現在の行政・自治体などの幅広いデータと照らし合わせることで、被災地の現状を生活構造と機能の面から捉えなおした今回の発表は、従来の被災地の捉え方に対して、新たな視点を投げかけるものでした。 
 発表を聞いて、原発事故から2年以上経過した今でも、原発関連産業が地域の経済や復興、生活面に大きな影響力を持っていることを感じました。今発表は中間報告とのことでしたが、被災地における避難者と地域住民との関係性や、避難者の帰還の問題を考察する上で、重要な示唆となると思います。

 
  発表された川副さん

 今発表の内容は、10月13日の日本社会学会大会における3本の共同報告の1つであり、この研究によって出されている問題意識を共有することができたことは、研究会にとって大変有意義なものになりました。

 11月11日(月)に行われる次回定期研究会では、今夏のいわき調査における仏教班の報告と、東北3県の新宗教調査班の報告を行う予定です。
                                                (文責・長島三四郎)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-10-15 (647 ヒット)

 10月14日(月)、大正大学宗教学研究室で、「震災と宗教」研究会の第9回定期研究会が行われました。今回は夏に行ったいわき調査の報告を、新宗教班とキリスト教班が行いました。また、南相馬市の原町で行った聞き取り調査の報告も併せて行いました。(簡単な報告については、本ブログの記事、【震災と宗教】いわき調査報告´↓を併せて御参照ください)

 夏に行った調査の情報共有として開催した今回の研究会では、今まで約2年に渡る調査から、いわきにおける諸団体の活動動向の変化などが報告されました。また新たに、カトリック教会への聞き取り調査を開始し、よりいわきにおける諸教団の動きの把握を目指しています。今回は、時間の関係上、二班による報告でしたが、次回以降は仏教班などに報告をしてもらい、更なる情報交換を行い、来年3月に発行予定の『宗教学年報』にて中間報告を行います。

 また、10月12、13日に慶應大学にて開催された、日本社会学会に参加した寺田先生より、学会内における災害研究の動向を御報告いただきました。これまで災害社会学が積み重ねてきた成果から、東日本大震災に対応できるか、そしてこれからの研究課題は何であるのか、といった発表があり、これらの視点とも併せて、調査研究が必要であることを再認識させられました。



 次回の研究会は、10月28日(月)に当研究会のメンバーでもあります、川副早央里さんより、第86回日本社会学会大会での発表について、御報告頂く予定です。
                                                 (文責・魚尾和瑛)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-09-13 (639 ヒット)

                                         福原さとみ記(博士前期課程)

 8月20日から22日の日程で、私たちの班は神道と新宗教を中心に聞き取り調査を行ってきました。震災から2年半が経過し、それぞれの教団がどのような活動を行っているのか。また、それぞれの神社・教会の信者さん達はどのような2年半を過ごされたのかを中心にお話を伺いました。

 20日はまず、いわき市の立正佼成会磐城教会にてお話しを伺いました。こちらではご友人を津波で亡くされ、またご自身も迫り来る津波の恐ろしさを体験された方にお話を聞きました。その方は2年半経った今、ようやく信仰生活を取り戻しつつあるとのことでした。また、教会長さんは原発から避難してきた相双地区の信者さん達のために磐城教会を開放していることなどをお聞きしました。

 21日はいわき市平菅波地区の大國魂神社にて同神社の禰宜さんから、いわき市の無形民俗文化財であるじゃんがら念仏踊りを軸に伝統文化の継承といわきの復興を中心としたお話を伺いました。禰宜さんは、地域のPTA活動等にも携わっていらっしゃり、被災地の子どもたちに関するお話も伺うことができました。
 午後からは、いわき市平の天理教磐城平大教会で、原発が立地する浪江町からいわき市で避難生活を送る浪江分教会長さんからお話を伺いました。分教会長さんご自身も原発事故により住まいを追われ、市内の借り上げ住宅で避難生活を送りながら仮設住宅をまわっていらっしゃる支援活動や、避難先での信者さん達の様子などを伺いました。

 同日の夕方からいわき市から南相馬市へ移動したのですが、南相馬市へ直線で進む国道6号線は原発事故により分断されており、三春町、川俣町を抜けて飯舘村を通過しながら南相馬市へと向かいました。内陸部の三春町、川俣町では夜間だったせいか震災の傷跡は既に見受けられず平穏な日々を取り戻しているようかのようにも感じられました。しかし、原発事故により全地域が計画的避難区域となった飯舘村に入ると様子は一変し、道路沿いの民家に明かりはなく人の気配が全くなくなり、原発事故の影響の甚大さを窺えました。この日遅くに到着した南相馬市のホテルは、復興需要で流入してきた働く人々のために新築されたホテルで、復興に向けて動き出した被災地ならではと感じました。


   南相馬のホテル

 22日には、カトリック教会のボランティア基地であるカリタスジャパン原町ベースを訪ねました。ここではベース長さんに、被災地へボランティアに来る方々を受け入れる宿泊施設としての役割や実際に行っている支援活動などのお話を伺うことができました。
 午後に伺った立正佼成会の原町教会では、2つの支部の支部長さんと教会役員の方々からお話をお聞きすることができました。原町教会では会員の方の8割以上のかたが避難をされており、それぞれの支部には、ご家族が津波でお亡くなりになってやっとご自分の話ができるようになったとおっしゃる方がいたり、原発に振り回されて避難生活を余儀なくされている方が大勢いたりと、まだまだ震災の爪痕が生々しいお話ばかりでした。それでも東京の杉並教会等からの支援で少しずつ前進しているというお話を伺いました。

 このほか、南相馬の海岸線も見学してきました。津波が来たあの日まで確かにあった集落は跡形もなく流され、強い夏の日差しの中で青々とした雑草だけが生い茂る更地になっていました。上屋が流され基礎だけになってしまった家、かろうじて残った防風林の松も塩害で立ち枯れ痛々しい様相を呈していました。


 南相馬市の海岸線にて


 津波で流された場所に神社が再建されていた。

 震災から2年半。今回、大勢の方にお話をしていただいて、一口に2年半と言っても、東京にいる私たちの2年半と、被災地の方々の2年半では重みが違うことを痛感しました。まだまだ進まぬ復興と目に見えぬ放射線と闘いながら、被災地の方々は今日も暮らしています。今後も継続的な支援と調査を続ける必要性を強く感じました。お忙しい中、貴重なお時間をいただき調査に協力してくださいましたこと深く感謝いたします。ありがとうございました。
                                                (文責・福原さとみ)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-09-06 (816 ヒット)

                                            高瀬顕功記(BSR研究員)

 私たちの班では8月20日〜22日、浄土宗福島教区浜通り組青年会(以下、浜通り浄青)、および浄土宗災害復興福島事務所(以下、福島事務所)を訪れ、震災後の取り組みをうかがいました。現在浜通り浄青は仮設住宅訪問カフェ「浜○かふぇ」を毎週水曜日実施。浄土宗では震災後、災害復興局を東京設置し被災地の寺院被災情報の収集を行うとともに、被災3県(岩手、宮城、福島)に現地事務所を開設し、現地復興活動の支援を行っています。今回の聞き取り調査では、被災地での支援活動が、震災直後からどのように変化したのかを中心にお話を聞いてきました。



 災害復興福島事務所が置かれている光林寺(いわき市平)

 浜通り浄青は、福島県東部に所在する浄土宗寺院僧侶によって構成される青年会で、浄土宗の寺院が数多くあるいわき市を中心に活動しています。浜通り浄青に所属する有志僧侶は震災直後より避難所での炊き出し活動や、地元の社会福祉協議会を通じた瓦礫撤去などを積極的に行ってきました。しかし、震災後数ヵ月が経過し、いわき市内各所に設けられた避難所が閉鎖され、多くの避難者が仮設住宅へ入居していきます。そこで、仮設住宅集会所での訪問カフェを行うことにしたといいます。この活動は、地元社会福祉協議会との情報交換、曹洞宗で行われている「行茶」の活動、他地域での仮設訪問カフェの実施を参考にはじめられたといいます。現在毎週水曜日、さまざまな仮設住宅を週ごとに訪問し、お茶やコーヒー、お茶菓子などを囲んでお年寄りから子供までくつろげる場所を提供しています。また、カフェの前に写経会を行ったり、他地域の浄土宗青年会の協力で、マジシャンや落語家とともに訪問したりすることもあります。



 野外広場での浜○かふぇの様子(2013年7月 平山崎雇用促進住宅)
(写真:浄土宗災害復興福島事務所提供)

 福島には放射能汚染の問題もあります。浜通り浄青は、上記の訪問カフェ活動を通じて、子供たちから雨に濡れること、野外で遊ぶことの不安などを耳にすることが多々あったようです。そこで、原発事故の影響で屋外での活動を制限されている福島県の子供たちに放射能の心配のない地域でのさまざまな体験活動を推進しようと「ふくしまっ子Smileプロジェクト」を立ち上げました。



 浜○かふぇの前の写経会の様子(2013年1月 上荒川応急仮設住宅団地 第2集会所)
(写真:浄土宗災害復興福島事務所提供)

 2012年7月に第1回の「知恩院子どもおてつぎ奉仕団入行と琵琶湖畔キャンプ」を、同年12月に「大本山善光寺参拝・宿坊体験と長野県栂池でのスキー教室」を開催。また2013年7月にも「第3回 ふくしまっ子Smileキャンプ」(知恩院おてつぎ奉仕団、琵琶湖畔キャンプ)を開催。延べ100名以上の児童が参加し、集団宿泊体験と大自然の中での体験活動を行いました。本山への参拝は、各本山の協力があり、また災害復興福島事務所からもスタッフの派遣などのバックアップがあったようです。



 第3回ふくしまっ子Smileキャンプ事前説明会(2013年7月 光林寺本堂)
(写真:浄土宗災害復興福島事務所提供)

 このように浜通り浄青は震災後2年半以上経った今でも復興事務局、各本山の支援を受けながら積極的な活動を展開しています。今回訪問させていただいた8月は、浜通り組各寺院の施餓鬼会シーズン真っ最中ということもあり、浜○かふぇはお休みでしたが、9月からまた再開するようです。ぜひまた足を運ばせていただきたいと思います。お忙しい中、調査にご協力いただいた僧侶のみなさま、ありがとうございました。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-08-31 (755 ヒット)

 大正大学宗教学会「震災と宗教」研究会では、8月18日から22日にかけて、福島県いわき市を中心に浜通り地方へ調査に行ってきました。今回は、幾つかの班に分かれ、さまざまな宗教団体の支援活動に関する聞き取り・参与観察調査をおこなってきました。今回から3回に分けて、調査の概要を報告します。

                                           君島彩子記(博士後期課程)

 私は、8月20日と21日はグローバル・ミッション・センター(GMC)、22日はカトリックいわき教会の活動を見学させていただきました。以下、聞き取り調査の簡単な報告になります。

 GMCは、NPO法人グローバル・ミッション・ジャパン(GMJ)を立ち上げて、本格的に支援活動を行っています。今回は、NPO法人の副理事長・小野泉さんに現在の活動状況についてお話をうかがいました。GMJの活動は主に3つに分けられ、うすいそ支援センターの運営、仮設住宅でのこころのケア、そして仮設住宅などで避難生活を強いられた方の自宅の掃除やリフォーム作業をおこなっていました。この他、ボランティアを希望する日本全国・世界各国の方々に対する現地コーディネートを中心に震災直後から継続的に行っているとのことでした。


改装したばかりのグローバル・ミッション・センター

 その後、実際に仮設住宅内にある集会場にて、そこで避難生活を余儀なくされている方々とGMJのスタッフの方からお話をうかがいました。
 また、うすいそ支援センターでは地元の方から、現在の生活状況だけでなく震災当日の津波被災や避難生活について語っていただき、今もなお地震当日の記憶が強く残っていることを痛感しました。


うすいそ支援センターの周囲は、津波の爪痕が残されている

 カトリックいわき教会は、いわき市の平にある教会で、小名浜と湯本に巡回教会があります。今回、チェスワフ・スタニスワフ・フオリシュ神父に、震災支援活動について話をうかがい、実際にボランティア活動を行っている集合住宅のご案内をしていただきました。


カトリックいわき教会 
 
 さらに、カトリックさいたま教区が運営するサポートハウス「もみの木」へも案内していただきました。「もみの木」では、実際に仮設住宅での出張カフェで出しているのと同じ、こだわりのコーヒーをいただきながら、ボランティア活動に従事されている信徒の方にお話をうかがいました。


「もみの木」の建物は、フィンランドのもみの木で建てられたログハウスである

 震災から2年半の月日が流れ、東京で暮らしていると震災の記憶が薄れていくのを感じますが、いわき市では今もなお不自由な生活を強いられている方がいるのだと改めて実感しました。そして変化するニーズにあわせて、様々な支援活動を行っている方のお話をうかがい、継続的な調査の重要性を感じました。調査では、宗教者やボランティアの方、そして被災者の方から多くのご協力をいただきました。この場を借りて、ご協力いただいた方々へ心より御礼申し上げます。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-07-22 (687 ヒット)

 7月8日(月)、大正大学宗教学研究室で、「震災と宗教」研究会の第8回定期研究会が行われました。今回は震災以後、震災に直面した宗教者や、宗教者による復興支援活動を精力的に取り上げた記事を連載し、それらをまとめた『苦縁』という本を上梓された中外日報社の北村敏泰さんを京都からお招きし、話を伺いました。

 北村さんは中外日報に入社以前も読売新聞の記者として、宗教についての記事を多数書かれてきた実績を持っています。北村さんは、確かにこの震災で宗教者が苦の現場に寄り添っていることが知られるようになった、と言います。しかし、実は震災以前から苦の現場は至る所にあって、そこには篤信の宗教者が寄り添っており、あくまでそれが震災以後に前景化したのだ、と主張されました。そして活動を行う宗教者に共通したこととして、「言葉」以上に「身についた信仰」とも言うべき「行動」・「実践」が存在し、その「実践」こそが重要なのではないか、と言われました。
 
 本で取り上げられている個々の事例は枚挙にいとまがないのですが、北村さんの徹底的に宗教者の声を聞き取ろうとする態度、そして物故者たちの「死」を可能な限りリアルに感じようとする姿勢、そしてその内容を一生懸命に伝えようとする熱意に、参加者一同深い感銘を覚えました。震災から2年以上が経過した今なお、北村さんのような真摯な態度をもって被災地に入り、被災者たちに接することが重要であると再確認しました。

 次回の研究会については、このブログにて追って報告いたします。今しばらくお待ちください。
                                                   (文責・星野壮)


お話をしてくださる、北村さん


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-06-26 (939 ヒット)

 6月8日(土)に、本学会顧問でもある星野英紀先生の最終講義が行われました(大正大学宗教学会2013年度春期大会と同時開催)。最終講義のテーマは「原発難民と「ふるさと」と寺院―福島浜通りの寺院檀信徒調査より―」であり、先生が現在最も関心を寄せている内容となりました。
 本講義では、相双地域浪江町でのアンケート調査の結果をもとに、被災地の現状報告と今後の課題についての提言がありました。浪江町では、とある寺院の全面協力によって、壇信徒へのアンケートを先生ご自身が行い、そこから原発避難地域における檀家と寺院の関係、将来への期待などを中心に調査を進められたとのことでした。
 このような調査から、生活や家族の為に帰還に消極的でありながらも、その底には墓や先祖を通じてふるさとへの思いが根強いことを調査から明らかにし、原発難民の方々は帰郷派・移転派いずれの立場でも、基本的には「ふるさと」への思いがきわめて強いとの傾向がみられたとのことでした。
 そして、この「ふるさと」を支えているのが場所や人の縁であり、この儀礼的側面が先祖祭祀といった寺院が管掌しているものであり、このような地域と菩提寺と檀信徒のつながりを「寺縁」と提唱されました。しかし、原発避難によって寺縁が果たせなくなった今、寺院の可能性は、移転、帰還のどちらかであり、どちらにせよ関係維持・檀家数の減少といった問題をはらんでいることを指摘されました。

 一方で、日本的伝統的共同体には、しがらみといったネガティブな面がありながらも、災害時には、共同体の絆の強さのポジティブな側面が表れることを示唆し、日本のように災害の多い国では、絆形成の要因の一つである文化、寺縁とともに、絆には厄介さがあることを覚悟しながらも、人間同士のサポート体制が重要であり、自由独立の個人を最善とする近代的社会観を多少修正する必要がある、と結ばれました。
 
 最終講義風景


 多くの方に御来場いただきました。

 星野先生からの御発表の後、コメンテーターである上智大学の島薗先生よりコメントがございました。島薗先生ご自身が、福島県伊達市や二本松市の仮設住宅で浪江町の避難者に出会った時のことのご紹介をいただきました。その中で「ふるさと浪江」という歌を一緒に歌い、まさに星野先生の御発表の中にある、「はぎ取られた」、「むしろ取られた」という言葉は、避難者の喪失感を表していると述べられました。そして、調査結果について、寺縁などといった様々な縁は、場所が消えても人々の中に残っていき、将来的な帰還に肯定する人たち、否定する人たちの両方にとって、共同体の崩壊を超えるような何かを与えているのではないか、とコメントをいただきました。


コメンテーターをお務め頂きました、島薗進先生

 また、フロアからも質問がありました。本学の大塚伸夫先生からは、阪神・淡路、新潟といった地震と違い、福島では原発事故の要因が加わっているが、調査の中で大きな違いはあるのか、という御質問がでました。また、東京大学の堀江宗正先生からは、是非御発表、調査内容を本にして欲しいというコメントが寄せられ、継続的な調査の要望も述べられました。また、淑徳大学の武田道生先生からも、ふるさと意識が、職業や年齢によって違いが出るのか、分析を是非待ちたいとのコメントが寄せられました。フロアからは、もっと知りたいという、声が多くあり、大変な反響となりました。
 

 最終講義後は、学内に新しく出来た鴨台食堂にて懇親会が行われました。懇親会にも多くの方が参加され、星野先生を囲み、和気藹々とした雰囲気で進行いたしました。

 星野先生を囲んで

 懇親会の途中、一昨年まで本学にいらっしゃりました、藤原聖子先生より、花束贈呈が行われました。


 花束贈呈

 多くの方々が、最終講義並びに懇親会へとご出席下さったのも、先生の研究の御功績だけでなく、厳しくも優しい先生のお人柄によるものだと思います。最終講義ということで、一つの区切りとなりましたが、これからも大正大学宗教学研究室院生一同、これからも教えを請い、大先輩でもある、星野先生の研究に近付けるようにいたしたいと思います。
                                                 (文責・魚尾和瑛)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-06-20 (844 ヒット)

 5月30日(木)、大正大学宗教学研究室で、「震災と宗教」研究会の第7回定期研究会が行われました。今回は、福島大学・うつくしまふくしま未来支援センターの佐藤彰彦先生による「福島第一原子力発電所事故をめぐる避難生活者の意識・行動の変容と政策過程に関する考察」と題した研究報告がありました。

 佐藤先生は、震災後に飯館村をフィールドとして選び、調査を開始されたわけではなく、震災以前より行政コンサルタントとして同村に関わった後に、地域社会学者として調査を行ってこられました。そのような折に、東日本大震災と原発事故による放射能被曝という事態を迎え、当初の計画とは全く違う調査を行うことになった、と述懐されました。

 しかしながら、原発事故以前の飯館村についてはあまり明らかにされていないこともあり、以前の姿を知りつつ調査を行っている先生が提示した分厚いデータと見解は、研究会参加者一同にとって非常に興味深いものでした。原発事故によって他の地域と同じような被害を受けつつも、震災前から存在した地域特有の問題が折り重なり、それが飯館村独自の復興課題となっていることを改めて知る機会となりました。「被災地」という言葉が各地を一様に表象してしまっている現実を再確認できた気がします。

 次回の研究会は、7月8日(月)に中外日報の北村敏泰先生をお招きして行われる予定です。
                                                    (文責・星野壮)


 報告をしてくださる、佐藤彰彦先生


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-06-09 (1252 ヒット)

 去る6月1日に、弓山達也先生が開講しています、MD宗教思想史特論の授業の一環として、東村山にある国立療養所多摩全生園・ハンセン病資料館を訪れました。また、ハンセン病を研究している、本学研究生の菊池さんと本学の院生で時宗僧侶の鈴木さんが同行しました。


見学の様子

 多摩全生園では、菊池さんの案内のもと、療養所内の宗教施設を訪れました。これらの宗教施設は、全生園に入居されている方々の為の施設であり、現在でも入居者の方々が利用しています。また、これらとは別に神社も施設内に建てられており、戦後GHQの政策によって、取り壊されたものを入居者が再建した神社へとお参りさせていただきました。


全生園内の永代神社

 この全生園内には、納骨堂があり、今まで亡くなったハンセン病患者の方々の遺骨が納められています。ここへも、お参りさせていただきました。


納骨堂前の碑・ハンセン病患者の苦労などが記されている

 ハンセン病資料館では、「一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者―中世前期の患者への眼差しと処遇―」という特別展が開催されています。


 ハンセン病資料館・特別展の案内

 特別展で展示されている一遍聖絵などの解説を鈴木さんが行ってくれました。一遍の周りに集まる様々な身分の人々の中に、ハンセン病患者がおり、様々な場面が描かれています。鈴木さんの解説によれば、一遍の周りには、差別されていた人々も集まっており、そのような人々へも、一遍やその周辺の僧侶達は、教えを説いていました。
 また、当日は「極楽寺境内絵図を紐解く」という講演会があり、こちらにも参加いたしました。これは、鎌倉にある極楽寺住職による講演で、極楽寺絵図の中に「ライ宿」と呼ばれる建物があり、極楽寺の開山上人の忍性は、当時差別の対象となっていたハンセン病患者を集め、看病を行っていたことが語られました。忍性やその弟子達は、衛生面だけでなく、ハンセン病患者の心の支えとして、患者達を支えていました。

 資料館では、宗教が説いたハンセン病差別について述べられており、その一方で、明治以降にハンセン病患者の支援に取り組んだ宗教者や、医療者についても詳しく展示されています。国立の資料館ですが、療養所内部で患者達が心の拠り所とした、祭りや信仰、それに付随して使用されていた経本などが展示されております。主に、宗教がもたらした差別と支援、療養所内の心の支えとしての宗教について取り扱われています。

 参加者一同、ハンセン病の実態を知るところから始まり、療養所の中の辛い生活と、その支えとなった様々な信仰を目の当たりにし、宗教のもたらす正と負の面を再認識させられました。宗教を研究する上で、宗教のもたらす影響は様々であり、各々の研究へと反映させていきたいと考えています。
                                                 (文責・魚尾和瑛)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-05-20 (790 ヒット)

 5月16日(木)午後6時より大正大学宗教学研究室で、2013年度1回目となる「震災と宗教」研究会の第6回定期研究会が行われました。今回は、本年度より大正大学に准教授として赴任された山内明美先生による「《東北》というトポス ―〈稲作ナショナリズム〉をめぐる覇権と空間形成―」と題した研究報告がありました。

 山内先生は宮城県南三陸町の農家のお生まれです。自分の研究テーマを考える際に、とある先生からの「自分の内側を掘りなさい」という言葉によって、自分の出自にかかわる〈東北〉と〈稲作〉いうことをテーマにして、研究されてきました。また、大震災後は山内先生の師匠となる小熊英二先生(慶應義塾大学教授)らとともに、震災にかかわる研究活動を盛んに行われてきました。
 山内先生の発表は、「本来熱帯・亜熱帯の作物である稲が、温暖とはいえない東北地方にもたらされて、やがて東北地方は穀倉地帯として人々に記憶されるようになった。これはなぜなのだろうか」という大きな問題にかんして、さまざまな文献、先行研究を駆使しながら検討していくものでした。米騒動、植民地獲得、敗戦、高度経済成長など、誰もが知る日本近現代史における大きな荒波の中で、〈東北〉と〈稲作〉の関係がどのように切り結ばれてきたのかを明らかにするものでした。
 発表に対しては多くの質問が出されて、あっという間に2時間が過ぎました。また、今回の研究会にも教員・院生だけでなく、学部生も参加し、議論に参加してくれました。

 次回の研究会は、5月30日(木)に福島大学助教の佐藤彰彦先生をお招きして行われる予定です。
                                                   (文責・星野壮)


 質問に答える山内先生


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